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献体に対する敬意

はじめに

某美容外科の医師がSNSに献体をあげて炎上している。その上司である医師も謝罪文を出してさらに炎上し、そもそもSNSに上げた当該医師も謝罪文を出して炎上している。

正直献体に対する敬意を欠く最低な行為で、庇うこともないのだが、もうどう言い訳してもダメだろう。しかも、その言い訳も見当違いでそもそものモラルの問題になっている。堀江貴文さんは当該医師に何度も警告していたとXであげていた。トンデモ医療なんかを発信していたりしたそうだ。さらにSNSが不慣れとかいうのも嘘で、どれも上司の嘘の言い訳だそうだ。

ただ、僕が他人の批判をする立場でもないので、自分が学生時代の時の思い出を少し書こうと思う。

学生の頃

歯学部は6年あるのだが、2年生の時に解剖実習があったように記憶している。20年以上前の話になるが、記憶の限りを話そう。2年生の秋ぐらいから解剖実習が始まった。解剖学の教授から最初に言われていたことがある。

献体に敬意を表せないものに絶対に単位は出さない

解剖実習の単位は絶対なので、これは留年からの退学を意味する。それに異論を呈するものはいないし、学生もみんな思っていたはずだ。「それはそう」と。

当時SNSはなかったが、SNSに上げようものなら退学処分相当だろう。

僕は大学生の頃空手道部に入っていて、空手ばかりしていた。練習のある日は当然だが、練習のない日も道場に言って自主練したり、学校のない日も道場に通ったりしていた。「大学生の頃に何をしていた?」と聞かれたら迷わず「空手」と答えるだろう。当時、勉強はさておき空手ばかりしていた。その僕が予習復習を欠かさなかったのが解剖実習だ。そもそもそんなにテストを落とす方ではなかったが、解剖は成績が割とよかったように記憶している。

解剖実習とは献体を解剖し、絵を描き、それが何を指しているかを見る非常に大事な実習だ。さらに、血管や神経の走行なども見ているのだが、たまに珍しい走行を認めるものがある。そういったものの統計をとり、どういった確率でそういうことが起きるのかなども解剖学の先生がデータを集めていたりした。特に僕の学校の解剖学教室は血管の走行に強かったように記憶している。

僕の学年の献体の中に腎臓の血管の走行が珍しい例があり、それを観察したことを覚えている。

そのように可能な限りデータをとり、医師、歯科医師の育成に必要なものが解剖実習なのだ。

そして、学年の最後には慰霊祭というのがあり、献体のご家族と学生全員参加で盛大にお見送りをするのだ。

その後多くの歯科医師の血となり肉となっていると僕は信じている。

社会人になって

解剖の知識を使うことは多々ある。というよりは医療において解剖の知識を使わないということはない。特に頭部は複雑で、学生の頃の解剖実習の知識を総動員している。僕は空手の大会ドクターをしたり姿勢の研究をしているので、歯科医師の中ではかなり全身の解剖の知識を使っている方だと思う。

今、解剖実習ができるならもっと吸収できるものがありそうだ。やはり臨床経験を経てから解剖実習をしたいという気持ちはある。インプラントなどの実習をする場合はブタの骨などを使用したりする。歯科医師になってすぐの頃は切開縫合の練習に皮付き鶏胸肉を買ってきたりしたこともあった。椅子やプッシュアップバーなどの棒には外科結びの練習をして家のいたるところに大量に結ばれた糸があったりした。

それらは患者さんに質の良い医療を提供するためで、歯科医師になってからでも解剖実習があるなら行ってみたいものだ。最近は外科から離れて久しいことと、興味がもっと全身やヒトという動物の成長についてなので、今の興味と異なるので行くことはないが機会があるなら挑戦してみたい。

医療とは

多くの犠牲のもとに成り立っている。献体もそう、実験動物などもそうだ。だからこそデータをしっかり取って次に繋げなげればいけないのだ。医療や科学は『巨人の肩の上』なのだ。僕は反ワクチンのひとを批判することがある。ワクチンがデータ的に少ないので打ちたくないはわかる。僕の友人でも打っていないひとはいるし、それに対してどうこう思うことはない。打つ打たないは個人の価値観で構わない。

しかし、嘘のデータを持ち出してワクチンを危ないとするのは非常にナンセンスだ。ワクチンができるまでに多くの動物実験やその他の犠牲がある。それを次に活かさなければいけないのだ。それをマイナス方向に走らせることは犠牲を無駄にすることになる。

犠牲のない医療は存在しない。0にはならないし、できるわけもない。ヒトの身体を相手している以上100%は存在しない。そのため確率的な統計処理が必要になる。それらを理解できないひとは本来とやかく言うべきではないのだが、昨今SNSの普及でおかしなことになってきている。本当にわからないひとはわからないことがわからないので言いたい放題だ。

おわりに

今回はSNSである医師の失敗をきっかけに献体について書いた。このSNSの失敗は他人事ではなく、自分も注意しなければならない。SNSを失敗するのは若者ばかりではない。むしろ注意しないといけないのは僕を含む40代50代だ。誤解などでとばっちりを受けることもあるし、自分が勘違いするかもしれない。

情報の拡散などには一次情報にあたるべきだし、無闇なひとの批判はしない方が無難だろう。