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子どもの好き嫌いは親が作っている⁉️

はじめに

SNSでチラっとみた投稿「子どものひどい偏食」の話。最近は好き嫌いの多い子どもが増えている。御多分に洩れず我が子もそうなのだが、最近はかなり厳しく食べるように促している。無理矢理食べさせるのは虐待だというひともいるかもしれないが、これには狙いと理由がある。当たり前だが、人間の食べるようなものでないものを与えているわけではない。野菜を嫌っていてそれを食べさせているぐらいのことだ。では僕が何故子どもに食べるように強く促しているのかを説明しよう。

恐怖症にトラウマ体験はない⁉️

みなさんは恐怖症を持っていたりするだろうか?ちなみに僕は高所恐怖症だ。よく聞く恐怖症の中には暗所恐怖症、閉所恐怖症などがあるだろう。苦手というレベルで言えば、虫が苦手、水が苦手、食べ物の好き嫌いなどもあるだろう。あくまで自閉症スペクトラムなどの強いこだわりやアレルギーなどを除くものとする。

恐怖症やこの手の苦手があるひとに聞いてみたい。

「それを誘発するような特定のトラウマ体験はありますか?」

「ある」と答えたひとも多くは大したことのない出来事のはずだ。例えば僕は高所恐怖症だが、高いところから落ちた経験があるっちゃああるが、高所恐怖症になるほどの出来事はない。暗いところが苦手なひとも暗いところでなんとなく怖いだけで暗いところであったある出来事がきっかけでどうしても怖いというひとはおそらくほとんどいない。食べ物の好き嫌いで野菜嫌いのひとで野菜を食べたら泡吹いて倒れたみたいなひとはおそらくいないだろう。なんかしらあったとしても後からつけたこじつけであるか強いて言ったらぐらいのことが多い。もちろん全部が全部ではないし、トラウマ的体験をしているひともいるだろう。

例えば、現代では虫が嫌いなひとが多いが、「虫に刺されてアナフィラキシーが起きて死にかけた」みたいなひとはほとんどいないと思う。僕は田舎者なのでハチに刺されたり、蛾の鱗粉で皮膚が荒れたりしたことがある。しかし、虫というものが嫌いではない。虫で言えばGを嫌いなひとが多いが、Gに襲われたり、刺されたりしたことのあるひとはまずいないだろう。

恐怖症は〇〇が強化する

では、恐怖症はなぜできるのだろうか。虫がわかりやすいので、虫で説明する。虫には無害なものと、毒があったり、針があって刺したり、顎が発達して噛んでくるやつがいたりする。これは知識があればわかるのだが、虫と身近に生きていないと虫のことを知ろうとも思わないし、興味もない。しかも種類がめちゃくちゃ多い。では、安全策を取ろうとするとどうするか「全部避ける」なのだ。全部避けたらとりあえず安全ということになる。

これは「成功体験」として頭にインプットされる。実はこの「成功体験」が恐怖症を強化してしまうのだ。

虫を避けた結果、刺されもしないし、噛まれもしないこの当たり前の経験がより虫を避けることが合理的であると脳が解釈してしまうのだ。実際にどうかではなく、感情の部分で合理的な答えだと思ってしまうのだ。

もう一つ実例を上げよう。僕が障がい者歯科で働いていたときに、10代の患者さんがきた。潔癖症だった。奥歯の虫歯が痛いということできたのだが、口を開けてくれない。「口に入れる鏡が汚い」というのだ。当たり前だが、歯科でいうところの基本セットと言われるような最初に出てくるデンタルミラーやピンセットは総じて滅菌されている。なんなら目の前で滅菌パックを破っている。ちなみに滅菌というのは無害有害関係なく最近やウイルスが死滅するように処理することをいう。普通に生きている分にはMAX綺麗と言っても過言ではないだろう。なんなら虫歯の奥歯の方がよっぽど汚い。しかし、本人の中ではそういうことではないのだ。

このことからもご理解いただけると思うのだが、自分の感情がどう思うかであって、事実はどうでもいいというのがポイントなのだ。

過保護は引きこもりや好き嫌いを誘発する

今までみなさんは特に理由はないけど、学校に行きたくないなぁと思ったことはないだろうか?ちなみに僕はある。勉強が苦手で集団生活も好きではない。学校に向いていないと思っていた。実際2週間ぐらい学校に行っていない時期があったように記憶している。ここで重要なのは特に理由がないという点だ。学校でイジメにあっているとかの理由がある場合は別とする。

子どもの立場になって考えてほしい。「学校に行く」という選択肢と「学校に行かない」という選択肢があるとする。「学校に行く」を選択すると友達とかに会えていいことがあるかもしれないし、楽しいかもしれない。しかし、外に出る以上嫌なめに会うかもしれないし、学校の授業が理解できなくて落ち込むかもしれない。「学校に行かない」を選択すると家では嫌なことも起きないし、ご飯も好きなものが出てくる。友達と会える楽しいことはないが、嫌なことが絶対起きないのだ。この「成功体験」が引きこもりを生む。家にいたら絶対安全なのだ。

好き嫌いも同じだ。嫌いな食べ物が出てきた時に「嫌い」と言って食べなかったら親が好きな食べ物を出してくれる。こういった「成功体験」が嫌いなものをより嫌いにしているのだ。

恐怖症の治療法は〇〇

じゃあ、どうすべきなのかというとあくまで僕調べではあるのだが、恐怖症に科学的に有効とされている治療法は一つ。

エクスポージャー療法」だ。

昔から言われている言葉でざっくり言うと「曝露療法」だ。要するにちょっとずつやってみて慣れていこうということだ。例えば、僕の高所恐怖症を治したいなら高いところにずっといればいいし、暗いところが苦手なひとは暗いところにいればいいということだ。いきなりは負担が大きいというならば、少しずつ高くすればいいし、少しずつ暗くすればいい。潔癖症の例であれば、まずはデンタルミラーが滅菌されていてMAX綺麗だということをとりあえず頭で理解する。なんかも第一歩だ。最初は感情で受け付けないというのはわかる。しかし、頭で理解することによってハードルは少し下がるだろう。つまり勉強する、理解するということも第一歩なのだ。一番やってはいけないのは、高いところが苦手だからと高いところに断じて行かないとか、暗いところが苦手だからといってずっと部屋の電気をつけておくなどの「回避行動」をとった上での「成功体験」(間違った成功体験)を得ることだ。

学校に行く行かない論争に終止符

学校に行くべき派と行きたくないなら行かなくてもいい派によく分かれているが、僕は原則行くべき派だ。もちろん行きたくないから行かないということを否定するわけではない。人間という動物が社会で生きていかないといけない時に、どこかで社会を学ばなければならない。その時に学校に行かずして、学ぶことができるのか?というのが問題だ。今はインターネットがある。さまざまなコロニーも探せる要素が増えてきた。一般的な学習においてもそうだ。在宅学習が充実しているというが、それを家庭で親がどれだけできるのか?というのが問題だ。

経済的にもそう、時間的にもそう、それが一般家庭でどれだけフォローできるのか?というのが問題になると思う。それができる家庭、もしくは学校よりも純度の高い社会性の勉強や一般教養を子どもに提供できる家庭に関しては学校に行かなくてもいいと思うし、そうなれば必ずしも学校というものが必要ではないと思う。

学校教育でもっと実用的なものを教えるべきという論も多いが、僕はあまりそうは思わない。実用的なものは自分で勉強すればいいのだ。みんなと競争する環境下だからする勉強というものもあると思う。「大衆の威神力」という言葉がある。一人では頑張れないが、みんなでやると頑張れるみたいなことだ。一般教養的なものや社会に出たら使わないという学問をあなたは学校に行かなかったら自分で調べて学んだか?と思うのだ。日本という国の成り立ちや世界の大まかな流れ、科学や物理の知識、ネット上にある陰謀論に耳を傾ける多くのひとがこのあたりの知識のなさを感じる。学校の教育が100%いいとは思わないが、平均値を上げるという面では一役買っているのではないか?

以上のことから、基本的には学校に行くことを推奨する。

そういった理由で安易に学校に行かないを選択してしまうと社会と接触しないということや、勉強しないということに「成功体験」を得てしまうということになる。そうなると、言い訳ばかりでいよいよ社会に出ることがなくなる。

おわりに

僕の話は『セラピストのためのエクスポージャー療法ガイドブックーその実践とCBT、DBT、ACTへの統合ー』(創元社)というものを元に話をしている。興味のある方は一次資料にあたってもらったら面白いかもしれない。

僕は不安神経症などの医科の診断はできないので、家庭でできる療養のような話をしている。自分では心配という方は専門家を調べるといいだろう。

子どもの食べ物の好き嫌いの対応は学校や外のグループに任せたり外のせいにするのではなく、家庭で管理すべきことだろうと僕は思う(実際できるかどうかは別)。学校などは対応をせざるおえないと思うし、することもあると思うが、好き嫌いの多い子どもが食べるものがないは仕方ないのではないか?

少しずつ曝露していく(経験を積む)が正解なのではないでしょうか。可愛い子には旅をさせろという昔からある言葉の意味はそういうことも含んでいるのかもしれない。

ちなみに、このガイドブックで虫が嫌いなひとの最終的な曝露は「生きた毒を抜いたタランチュラを胸に乗せる」というものだった。この本は訳本でもともとが海外の本というのもあるのだが、日本でそんなにフランクにタランチュラが手に入らんだろう(いるとこにはいるのか?)というのと、確かにそれぐらいできたら普通の虫ぐらい問題なくなるなと思って結構面白かった。