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大谷翔平が膝をついてもホームランを打てる理由

はじめに

僕は武道や武術の研究をしていく結果、姿勢の重要性を知り、それが歯科的にも意味があるということを知った。そこから発展した運動理論もあり、トップアスリートには明確な共通点があることを理解できた。僕は野球をほぼしたことがない。武術研究をしている僕にとって野球のバッティングは武器術の延長戦上にあるものだと考えている。その理論の中では膝をついて(厳密にはつきそうになった段階で球は打っている)ホームランを打てるのは当たり前だという話をしていこうと思う。

姿勢の重要性

「重さ」

ヒトという動物が出せる力で大きいものの代表が「重さ」だ。簡単に体重と捉えてもらってもいい。武術の世界ではよく使われえる最もポピュラーな力と言っていいだろう。「重さ」を使う利点は多々あるのだが、それを説明すると長くなるので、ここでは割愛する。単純にひとの上に乗ったら体重がかかると思うかもしれない。しかし、意外と関節というサスペンションがある中で、「重さ」は分散してしまう。使えているようで使えていない力が「重さ」なのだ。これは筋力に頼らずに出せる力なので、全ての武術家、アスリートは使えた方がいい。

「筋力」

武術の世界では嫌われがちな力になる「筋力」。僕はそうは考えていない。最低限あった方がいいと思うし、僕の姿勢の講義をしていてもある程度「筋力」のあるひとの方が効果が出やすいし、身体の使い方が同じぐらいいいひとであれば「筋力」で差がつく。もっというと筋力バカと言われるようなひとに不覚をとる「筋力」を否定する武術家も大勢いることだろう。ここではバッティングでホームランまで持っていけるだけの「筋力」という意味で使わせてもらう。最低限の「筋力」は必要だし、「重さ」を使わない場合、ヒトという動物が出せる力は使っている筋肉の断面積の積分値に比例する。簡単にいうと使っている「筋力」に比例する。

「重さ」と「筋力」の統合

僕が考えている姿勢というものは一般的に認識されている姿勢とは少し違うかもしれない。僕が考えるいい姿勢は立っているだけなら「骨で立つ姿勢」、動くことも考えるなら「力の流れが途切れない姿勢」ということになる。今回はスポーツにおける姿勢、つまり動くことが前提の姿勢なので、「力の流れが途切れない姿勢」の説明に限局する。「重さ」を使うにしても「筋力」を使うにしても全ての力がつながって、今回であればバットを通じて球に柵を超えるだけのエネルギーを持たせるための条件だと思ってもらっていい。そして、「力の流れが途切れない姿勢」にネックになるのが関節というサスペンションになる。ここで力の流れが途切れるとどうなるかというとケガをする。一般人ではそうでもないが、トップアスリートであれば流れてくるエネルギー量が違う。結果、自分の力で怪我をしてしまうのだ。野球のバッティングに限るならデッドボールを伴わない手首や小指の骨折などがこれに該当するだろう。

この関節というサスペンションをなくして力の流れを途切れさせないようにする行為が「伸ばす」ということだ。ヒトという動物の身体は力を伝えるためには伸ばした方がいい。なんとなく筋肉のイメージで収縮した方が力が出そうだが、ヒトという動物はそういう構造にはなっていない。

「脱力」という落とし穴

武術において最も重要性が問われるのがこの「脱力」だ。確かに僕も大事だと思うし、ありとあらゆるスポーツでも力を抜けと言われているだろう。しかし、これには落とし穴がある。僕自身しっかりハマっていた。それは何かというと前提条件があることを誰も教えないのだ。

「脱力」の前提条件は「力の流れが途切れていない」ことだ。

「力の流れが途切れていない」状態をキープした上で「脱力」なのだ。

さっきも言ったみたいに関節というサスペンションがある状態では力の流れは途切れてしまう。このサスペンションがありありの状態で「脱力」してもブニャンブニャンなだけなのだ。

むしろ「脱力」よりも大事なことは「均一」であることだ。

筋肉の緊張度合いが強かったり弱かったりしたらそこで力の流れが途切れる。その「均一」を維持するために「伸ばす」ということが有効なのだ。

多くのスポーツや武道を教えているひとは「脱力」の大事さを言う。多くのこの発言をして結果を残しているひとはこの「力の流れが途切れない」と言うことができてしまっているひとだ。これができているひととできていないひとでは前提が違うのに、結論としての「脱力」を教えるとできていない多くの人間が落とし穴に落ちる。

あくまで「力の流れが途切れない」ことが前提の「脱力」ということをわかってほしい。

膝をつくつかないは関係ない、むしろプラスまである

まずは大谷選手がそもそもホームランを打てる選手であるということが前提にある。そして「力の流れが途切れない」選手である。身体が一塊として使えているので、体幹でバットを振っている。肩や肘、手首にサスペンション(遊び)がない。これができているひとが膝をつくということは身体の「重さ」がエネルギーとしてバットに乗るだけに過ぎない。むしろ、身体の「重さ」分の位置エネルギーがバットにさらに乗るのだからより飛ぶ可能性まである。

普通インコースを攻められたり、膝をつくような体勢にされる場合、関節が緩み「力の流れが途切れない」姿勢を維持できないため力ない打球になる。しかし、「力の流れが途切れない」姿勢をキープできているならもはやスイング姿勢は関係ないとさえ言える。もちろん見た目が美しい方が「力の流れが途切れない」姿勢を作りやすい。しかし、あくまで根幹にあるのは「均一」なので、それが守られているならどんな体勢でも一緒なのだ。イチロー選手が「本当にすごいのはなんでそのスイングでそんなに飛ぶかわからないようなスイングをしている選手だ。」と言っている。実際もうちょっと形のいいスイングの方がいいのだろうが、本人がそのスイングが良くて、そのスイングで結果を出しているのだから文句のつけようもない。実際イチロー選手のスイングは美しい。理に適った動きをしていると思う。

僕が考えるバッティング理論を実践していたであろう伝説のバッター

まずはバッターボックスに入ってバットをまっすぐ構えて楽に立つ。肩から肘、手首を伸ばし、さらにその伸ばしたイメージをバットの先にまで持ってくる。この時伸ばしていく関係上、一度自分の身体から離れる方向にバットの先は傾く。その「伸ばす」イメージを持ったままバットを楽な位置(重さを感じない位置)に戻す。おそらくバットは立つだろう。そして、体幹でバットを振る。体幹でバットを振れる理由は関節を伸ばして遊びがないため、体幹の力が肩、腕、手を通じてバットが振るというよりは振られる形になる。バットにボールが当たる位置がよければ基本ホームランになる。右バッターであればちょうどのタイミングならバックスクリーン、振り遅れたらライト方向、振りが早ければレフト方向になるだけだ。

体幹で軽くバットが振れるとかなりボールを待つことができる。変化球のすごい投手相手ならバッターボックスのギリギリ前に立って変化前に打つということもできるかもしれない。バッターボックスの後に立てばかなりボールを見ることができるので選球眼が良くなるだろう。さて、誰のことかわかった方はおられるだろうか?

落合博満さんだ。

三冠王を3度獲った伝説のバッターだ。バッターボックスに立ち、関節の遊びをとるための「伸ばす」行動から神主打法と言われていた。バットの手に伝わる感覚を大事にするためにバッティンググローブはつけなかったとされている。これができるとバットの先が手に近い感覚を得ることができるのだ。監督時代も隙のない采配でオレ流野球と言われていたが、僕の目から見ると圧倒に理論的なことをとんでもない精度の感覚でしているひとだったのではないかと推察する。

それを多くのひとが理解できない結果、オレ流という落合さんの独自の理論という形にまとめられたのだろう。僕は非常に理に適ったことをしておられるようにお見受けする。

おわりに

こういう話をすると「じゃあ、お前がやってみろ!」というひとがいる。当然僕はできない。そもそもバッティングの打つという行為には飛ばすフェーズの前に当てるというフェーズがある。飛ばすと当てるは技術が別なのだ。今回は飛ばす技術の話をした。僕ができるとするならばティーバッティングで素人にしたらよく飛ばすなぐらいだろう。

もし興味のある方は講義のご連絡をいただきたい。僕の言っている感覚をあなたに植えることは可能だ。軽く振っているのにボールがよく飛ぶようになったぐらいはできる自信がある。

あとは同じようにすればゴルフの飛距離を伸ばすことや、狙ったところに落としやすくすることぐらいはできるようになるだろう。