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堺市で起きた全身麻酔中の抜歯にで起きた死亡事故について

はじめに

堺市の重度障害者歯科診療所で起きた全身麻酔中の抜歯で死亡事故という痛ましい事故が起きた。亡くなられた方にはご冥福をお祈りし、ご遺族にはお悔やみを申し上げます。

Xを見ていると色々な言い分があったり、医師からの指摘などもあったりと気になることがあるので、歯科医師として僕なりの意見を発表する。あくまで僕個人の意見であり、歯科医師全体の意見ではないということは言っておきたい。

加えて障害者歯科の現状と実態、医科と歯科の距離なども説明したいと思う。

僕が把握している限りの事故の全貌

患者は当時17歳で障がいがあり、一般診療所であるかかりつけ医に通っていたが、親知らずを発見。その診療所では親知らずの抜歯は難しく、重度障害者歯科診療所に紹介されたと思われる。

前年の3月に右側の親知らずを抜き、7月に左側の親知らずを抜く予定で、7月に事故が起きた。

手術直後から異変があり、血中酸素飽和度が下がり出した。しかし、気管支痙攣と判断し、手術を続行。救急車を呼んだのは1時間近く経ってからだった。

結果としては挿管がうまくいっていなくて、気管ではなく、食道に行っていたのが原因であったとのこと。

鎮静と全身麻酔

何となく寝て手術などの処置をしてもらうことをみんな全身麻酔と思っているかもしれない。鎮静と全身麻酔は違うところがある。簡単にいうと鎮静は自発呼吸(自分で呼吸する)を残していて、全身麻酔は自発呼吸を止める。だから全身麻酔は挿管と言って気管に管を入れて、呼吸を外にいる医師が管理する必要がある。

じゃあ、危ないから鎮静でしたらいいじゃないかと思うかもしれないが、鎮静はボーっとする薬を入れるだけなので、患者が興奮状態にあったり、特定の薬の服用が多くあると効きが悪いことがある。特に障がいがあるひとの場合、いつもと違う診療所に行ったりすると興奮し、鎮静剤が全然効かなくて寝ないなんてこともある。

それなら全身麻酔でと思うかもしれないが、麻酔医が必要であり(鎮静の時もいることは多々ある)、かなり特殊な機械も必要で、そもそもそんなに何台もあるものではない。僕が昔勤めていた障がい者歯科では全身麻酔で処置となれば半年待ちとかザラだった。

鎮静と全身麻酔で違いがある。鎮静の方が比較的簡単だが、効かない可能性がる。全身麻酔の方が確かだが、リスクが高くなり、機械や専門の医師などの条件がかなり多いと思ってもらったらいい。

疑問の声

医師からの疑問の声

Xの中で医師から疑問の声が上がっていた。

どうして経鼻挿管なんか行っているんだ?

というものだ。中には「経鼻挿管なんて見たこともない」という声などもあった。

経鼻挿管とは何かというと全身麻酔に必要な呼吸をコントロールするための挿管を鼻から行うものだ。一般的には口から挿管を行い、それを経口挿管という。経鼻挿管は経口挿管より非常に難しく技術が必要だ。

これに関しては、歯科としては経鼻挿管は当たり前だ。僕は口腔外科にいたので、多くの手術を見てきたが、全身麻酔の時はほぼ経鼻挿管だった。医科ではほぼ見られない経鼻挿管が歯科でほとんどの理由、それは歯科において術野が口腔であるからだ。挿管された器具などが口にあっては手術そのものができなくなる。だから経鼻挿管なのだ。

聞いたら当たり前に思うかもしれないが、これを聞かないとわからないぐらい医科と歯科には距離がある。

以前子どもの図鑑で歯の解剖に間違いを見つけ、編集部に問い合わせたことがある。その時の最初の編集部の回答は「これは医者の先生が勉強に使う教科書を監修している先生に監修していただいているのでそんな間違いはありません。」というものだった。

僕は自分の身分が歯科医師であることを説明し、絶対に間違っていると言ったら、監修の先生に確認をとり間違いであることがわかったのだ。

おわかりいただけるだろうか?医師向けの解剖の本を監修している先生ですら歯の解剖でミスをするのだ。それほど医科の先生は歯科の知識がない。僕は全身を診た上での歯科だと思っているので、医科的な知識は割としっかり持っている方だと思う(当然だが医師には劣る)。それと同じように医科の先生は歯科の知識をもっと持った方がいいと僕は考えている。

もし、希望があれば「知って得する歯科の知識(医師向け)」みたいなのを医師向けにする準備はあるので、ご依頼があれば待ってます。

一般のひとからの疑問の声

「歯科麻酔科ってなんなん?」というものがあった。基本的にやっていることは医科の麻酔と同じにはなるのだが、歯科領域の手術に関しては、医科の麻酔科と同じようなことをしてもいいことになっている。例えば、今回のような歯科に関する全身麻酔などだ。当然産科で使われるような腰椎麻酔などはできない。

こういった事故があるといつも歯科医師が麻酔科医をするなみたいな声が上がるのだが、それは本当に止めていただきたい。そうなるとただでさえ少ない麻酔科医を医科と取り合いになる。そうなると麻酔科医不足の深刻さがより深いものになるからだ。

その詳しい理由は後述する。

実は数十年前になるが、以前にも歯科麻酔医が死亡事故を起こしている。その時も歯科医師を麻酔科医に使うとは何事だと問題になった。そして、歯科医師が麻酔科の研修をできる施設が減ったのだ。結果、麻酔科実習できる施設が少なくなり、麻酔科実習したい歯科医師は順番待ちとなった。麻酔科の実習ができなけでば、当然全身麻酔をかけることはできない。僕は麻酔科実習に行きたかったが順番待ちの関係で行けなかった歯科医師の一人だ。ここにしたくてもできなかった歯科医師がいる。

事故は何故起きたのか?

事故は挿管のミスで起きている。気管に管を通さないといけないのに食道にいっていたのだ。これは結構ありえないミスだ。厳密にいうと食道に行くべき管が気管にいくとか気管に行くべき管が食道に行くというのはちょいちょい起きているのだが、ルーティンの範囲でまず気道に入っているか食道に入っているのかは確認するので、もし間違っていたらその段階で気がついて入れ直すのだ。おそらく、その確認が形骸化しており、確認の動きはしていたが、本当の意味で確認はしていなかったのだろう。まずここが第一のポイントだ。

そして、術後酸素飽和度が下がって、痙攣を起こしている点だ。気管支痙攣と判断したようだが、そこでの判断ミスも悔やまれる。多少時間はかかるにしても酸素飽和度が下がり続けていたなら気がつきたかった。ここが第二のポイントになる。

基本的に麻酔科医の責任だとは思うが、周りにも歯科医師は複数いたと思うので、誰か気がついていればとは思う。

これらの網をくぐり抜けて死亡事故は起きた。死亡事故というのは重大事故になるので、やはり、重大事故というのはいきなりドンと生まれるものではなく、複数の小さいミスが絡み合って、あり得ないような低い確率で起きてしまうものだ。だからこそ、小さいミスや事故を注意し、報告し、共有することが大事なのだ。

小さいミスのうちにしっかり叩いて、対策をするということが重大事故を防ぐ方法になる。

障がい者歯科の実態

僕はここに来る前に奈良で歯科医院をしていた(現在休院中、状況が整えば再開したい。)。父が歯科医師で実家が歯科医院とくっついているタイプの医院だった。父は昔から障がい者を診ていて、僕も当然同じように診ていた。暴れる子どもや、成人している障がいのあるひともいた。実際開業医レベルでは診ることが難しい。

理由としては暴れるひとの場合、抑える人手がいる。それはこの日と決まっているわけではないので、十分な人数が常に医院に必要ということになる。しかし、それは現実的に開業医レベルでは難しい。歯科の保険点数が低いからだ。余分なひとを雇えるような仕組みにはなっていない。

しかし、実家の医院では抑えたりはしなかった。慣れてもらうまで何回も来てもらい、話をしたり、椅子を倒す練習をしたり歯磨きだけして終わったりしながら慣れてもらってそれから目的の処置をするようにしていた。これるレベルの患者さんでこれでできないことはなかった。

じゃあそれでいいじゃないかと皆さんは思ったかもしれない。しかし、実際はそうではない。障がいのあるひとは椅子に座るまでも時間がかかる。話をしたり、少し歯を磨くぐらいでは点数はない。それを時間をかけてやるのだ。全く売上の上がらない慈善事業なのだ。医院の維持費もかかる。いるだけでも人件費もかかる。売上を上げるのに必要なチェアーは使えない。これをして理解を得るために時間を割いているのだ。

保険診療のシステムはこのあたりを一切評価されない。医院としてどうするのが一番いいかというと、重度障がい者歯科診療所のようなところに紹介状を書いて、そっちに行ってもらうというのがいいということになる。

しかし、僕がいた地域では県で一つしかそのような施設はなく、初診を診てもらうだけでも3ヶ月待ちは当たり前で、そこから全身麻酔が必要な処置ですとなればさらに6ヶ月待ちになるのだ。仮に今痛いひとがいたとしてそこから3ヶ月待ちになるのだ。現実的に患者さんや患者さんの家族が厳しいことはわかるだろう。そういうことも実態として知っていたので、父はなるべく自分のところで診ていたし、僕も診ていた。僕に関しては偉いでしょというよりは父が当たり前に診ていたので、それが当たり前だと思っていたという方が正しい。父は偉かったかもしれないが、僕はたまたまそういう価値観だったというのが実際のところだろう。

そういう善意で診ている医院はどうなるかというと当たり前だが儲からない。状況が整わない理由の一つだ。

開業医が障がい者を診るというのはそれほど難しいことなのだ。

麻酔科医が足りない

これらの問題の中に麻酔科医の少なさが原因の一つになっていると思う。

前述したように歯科麻酔科医の実習ができる場所がそもそも少ない。実習ができるところが少ないのに技術の向上の確率は単純に下がる。むしろ歯科医師の麻酔科医を認める幅を緩和することによって、全身麻酔ができる麻酔科医の供給をしっかりしたら、産科における腰椎麻酔(これは歯科医師では難しい)の供給ももっと見込めると思うのだ。

そして、歯科医師を認めないとするならば、インプラントなどの手術の鎮静なども医科から麻酔科医を呼ばないといけなくなったりする。これは可能だ。インプラントは自費診療になるので、その分値段を乗せたらいいのだ。そうなると、仮に保険で麻酔科医が1件3万円もらえるとすると、歯科はここから麻酔科医を引き抜かないと行けないので、1件5万円払うから来てくれというとする。そうすれば、麻酔科医はどちらに行くだろうか?歯科の方に来ないだろうか?リスクが低く、身入りもいい。そうなるといよいよ医科での麻酔科医不足が進むのだ。

今回の事故は痛ましい事故ではあるが、歯科医師の麻酔科医はむしろ増やした方がいいと考えている。

もちろん技術の向上や場数をこなせる場所が十分に確保されることが大前提となる。

ご遺族の意見

その記事によるとご遺族は「聞けば聞くほどありえない事故」、「診療所は地域の障害者にとって必要な医療機関。だからこそ、真摯に再発防止に取り組んでほしい」とのことだった。もうこれに異論はない。本当にそう思う。しかし、その中で「診療所は地域の障害者にとって必要な医療機関」ともおっしゃっているのが本当に心苦しい。「再発防止に取り組む」本当にこれ以外ないのではないだろうか?

おわりに

この事故に関しては二人処分されている。所長と麻酔科医だ。所長は責任者としてで、麻酔科医は「すべて私が悪い」と証言しているという。事実確認などで争うことはなさそうなので、それはご遺族にとってはいいことだと思う。飲み込むことはできないとは思うが、事故の経緯の説明や補償などはご遺族の意向通りになればいいなと思うばかりである。

「抜歯で命を落とすなんて」と記事の題になっているが、そんなことはない。抜歯はれっきとした手術であり、命を落とすリスクのあるものだ。全身麻酔もそう。だからこそ医師、歯科医師は勉強し、厳しい国家試験を合格しなければならないし、知識を入れつ続け、技術を向上させ続けなければならない。

日本の歯科医療が安過ぎる問題に通じるものもあると思うのだが、抜歯にしろ全身麻酔にしろそんなに簡単なものではない。