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僕が色々患者さんとお話をさせてもらうことが多い理由

はじめに

先日、ある患者さんからお礼を言っていただいた。「母が先生のおかげで助かったって言ってました。ありがとうございます」と。その患者さんは確かにご家族で来ていただいている患者さんで例によって僕はなんちゃない話をさせていただいている。

その方のお母さんに何があったのか?

そして、そこには僕が思う医療の本質みたいなものがあったので、少し書いていこうと思う。

何があったのか?

ある患者さんが来られた。定期検診だったと思うが、定期検診終わりにこんな話をされた。

「いやぁ、先生に言うことやないんやけどね、こないだ魚の小骨が喉に刺さったんよ。そんで病院で内視鏡で取ってもうたんやけど、なんかまだ喉に違和感あるんよ」と言うのだ。

詳しく聞くと、内視鏡でとれたものの内視鏡を出してきたら小骨がなかった。その時も主治医に訴えて主治医も確認してくれたが、小骨は見つからなかった。まぁ大丈夫だろうということになったが、なんかずっと違和感があると言うのだ。

僕はこの話を聞いてなんか嫌な予感がした。「一応、もう一回確認の意味を込めて大きい病院に紹介状書こうか?」と言うと「そうしてくれる?」と言うのでそうすることにしたのだ。

そしたら、いった先の大きい病院でやっぱりまだ小骨があり、それを取ったら違和感がなくなったと言う話だ。

これは前医が悪いとか僕が凄いとかそういう話ではない。昔から医療の世界では「後医は名医」と言う言葉がある。後で見た方が結果を見てから判断できるからミスがないと言うことだ。それにその日はいくらやってもダメという日でも日を変えたら意外といけたみたいなことは往々にしてある。おそらく僕もどこかで見落としがあったりするのだろう。僕が言いたいのはそういうことではない。

医療の本質は「おせっかい

僕は医療の本質は「おせっかい」だと思っている。そもそもひとを治してあげようなどということはしなくてもいいことであり、自己満足なことなのだ。しかし、そこにこそ本質があると思っている。僕は自己満足でしているに過ぎない。だから、患者さんに偉そうにしたりもしないし、患者さんから偉そうにものを言われるいわれもない。医師と患者はあくまで並列なのだ。

患者さんが本気で治したくてウチに来てくれるなら全力で治すし、逆に患者さんがとりあえず痛いところだけと言われたらこちらとしてはそれ以上できないし、長い治療プランは立てることができない。こちらの指示に従ってもらえないとできないこともあるし、それに従わないならこちらとしても治療できないとしか言いようがない。僕が考える医療はあくまで治すのは患者さん自身であり、僕はその協力をしているに過ぎない。

「おせっかい」だからこそ

今回の例でいうと小骨が喉に刺さったとか歯科医師には関係がない。喉を診るのは耳鼻咽喉科であり、歯科は口の中までで、喉の方を診るのは違法だ。しかし、当該科に紹介状を書いて診てもらうことは問題ない。これらのことから実は小骨が喉に刺さったという話題は歯科では関係ないし、それを聞いたところで歯科的にはどうしようもないし、聞く必要もない。仮にそれがトラブルになったり、その傷が元で患者さんに不幸があっても全く関係がないと言っていい。正直、商売という点では全く時間の無駄と言って過言ではない。

こういう話をいちいち拾うとかする必要がないことなのだ。それを拾うのは「おせっかい」だからこそだろう。

しかし、僕は普段から無駄話をしている。それはどうでもいいことを話やすくするためだ。それは効率を低下させる行為であり、仕事という面ではいい行為とはいけないだろう。しかし、こういうどうでもいい話の中に不意に病気のタネや身体の不具合のタネがあったりするのだ。僕はこういうものを探している。

もちろん全部拾えるわけではない。しかし、自分が診ているひとには少しでも何かしらの身体の不具合のリスクが下がったらいいなという「おせっかい」のためにはこれは必要な行為なのだ。

あくまで全身を診ての歯科

病院の廊下を歩くストロークの中で歩き方や表情などを診ている。膝や股関節が悪くないか?腰を痛めていないか?首や肩がいつもより曲がっていないか?どこかの筋肉に緊張がないか?色々診ていることがある。どれも歯科という分野からかけ離れているし、それを診断治療することは僕にはできない。

しかし、それぞれの専門家に送ることはできる。

最近、医師でも歯科医師でも自分の専門科しか診ないというひとが増えている。それはさまざまな訴訟リスクなどから当然というか間違ってはいないのだが、それはそれで何か違うなということもある。

例えば、ある患者さんがいて、A科の先生が自分の科ではなくB科の病気だなと思ってB科に送るとする。そして、B科の先生はこれはB科の病気ではないなと思ってC科に送るC科の先生はA科の病気だと思ってA科に送る診たいなことがあり得るのだ。それは自分の科のことしか勉強していなくて他の科の知識が乏しいから起きることになるのだが、こういうことは病気の中では往々にして起きる。なぜなら明確にこれが原因で病気になっていますということより複合的な要因の病気も多いからだ。しかしこれが起きると患者さんはたらい回しにあう。これが一つの大きい病院ならまだいい。それぞれの科の医師が集まってカンファレンスができるから。しかし、これがそれぞれの科の開業医だったらどうだろう?手紙のやり取りで、2つの科だったらまだしもそれより多いと意見の擦り合わせも難しい。

スペシャリストとローカリスト

僕はある先生からこんなことを言われたことがある。

「最近スペシャリスト面したローカリストが多い」

その先生の言い分としては全体的に診ることができてその中で自分はこれが強いというのがあるのがスペシャリストだというのだ。他の部位は一切診れません。ここだけ自分は診れてここが強みですというひとはローカリストだというのだ。

僕はこの意見に賛成している。日本において特に歯科は医科と切り離されている。国によっては歯科が外科や内科のように医療科のうちの一つという国もある。僕はあくまで後者のようにありたいと思っている。もちろん日本の法律もわかっているし、僕が医科の病名をつけたり薬を出したりはできないし、しない。しかし、自分のところに来ているひとにはもっと自分の歯科医院に来ててよかったと思ってほしいのだ。

おわりに

そんなことを考えているので、僕は無駄話が多い。今回あげた例はそれがたまたまうまくいった例だ。おそらく僕に絡まれるのが嫌で来なくなった患者さんもいることだろう。これは合う合わないの問題なので仕方がない。日本の法律や僕が自分の免許でできる範囲でなんとか患者さんの健康に寄与したいと思っている。

こんな考えは自分よがりで「おせっかい」に過ぎないと僕は考えている。