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パリパラリンピックで鬼谷慶子選手が銀メダルを獲得🥈
はじめに
僕は以前に鬼谷慶子選手の記事を書いたことがある。僕のブログ記事の中でも結構読まれている記事なのだが(鬼谷稽古選手が銀メダルを獲得🥈)、その鬼谷慶子選手がパラリンピックでもやってくれたというニュースがあったのでまた書いていきたいと思う。
パラリンピックの結果
結果から言うと、15m78cmで銀メダルだった。僕が鬼谷慶子選手を知ったのは世界パラ陸上競技大会だった訳だが、その時の結果が自己ベストを3mほど伸ばして14m49cmの記録で銀メダルだった。お分かりいただけるだろうか?この時の記録をさらに伸ばしているのだ。
ちなみに、6投するのだが、1投目で15m69cmと自己ベストを更新し、アジア記録に。2投目で15m78cmでさらに記録を更新し、この記録で銀メダルとなった。
練習以上の力は本番では出ないと言う定説は?
ちなみに金メダルの選手はブラジルのエリザベト・ロドリゲス・ゴメス選手の17m37cm。銅メダルはウクライナのゾーヤ・オウシー選手の14m17cmとなっている。ゴメス選手の記録はパラリンピック記録となっている。
今回はゴメス選手に負けたが、相手もパラリンピック記録を出すほどの実力者だ。しかし、そもそも世界パラ陸上競技大会の前から考えると鬼谷慶子選手は4m以上記録を伸ばしている。まだまだ伸び代がある。次回のパラリンピックでは金メダルが見えるのではないだろうか?
鬼谷慶子選手の言葉
鬼谷慶子選手は「ビッカースタッフ型脳幹脳炎」という難病だ。僕も鬼谷慶子選手のことを調べて初めて聞いた病名だ。段々身体が動かなくなっていき、左の手足が動かなくなり、車いすの生活になったという。
鬼谷慶子選手はその時のことを「日常生活でも諦めることが多くなり、それがだんだん普通になっていった。長いトンネルの中にいるようだった」と言っている。
それを支えたのが病気の前から付き合っていた旦那さんだったと言う。二人三脚で練習し、フィードバックし、思ったことは包み隠さず話し合って何度でもアイデアを試す。夫婦だからできる練習を積み重ね、急成長を遂げての銀メダルだったそうです。
これらの前提があってのメダルを獲得後のインタビューを聞いていただきたい。
鬼谷慶子選手「いろいろな人に支えられてこの場に来られたことを思い出していた。本当に夢なんじゃないかと思うくらい信じられない。夫に感謝しきれないくらい感謝している。」
旦那さん「本当に誇らしく思う。一番近くで見られて幸せです。」
とのことです。
バックグラウンドが少し見えただけでコメントの重さが伝わってくる。
パラスポーツのエンタメ化
僕はもっとパラスポーツをエンタメ化するべきだと考えている。
車いすラグビーもそう、パラ陸上もそう、もっと集客できるコンテンツにしていくべきだと思うのだ。今回パラオリンピック期間中に24時間テレビがあり、そこで障がい者のチャレンジ企画みたいなことがあるのだが、それを放送するならパラリンピックをもっと取り上げてくれよと思うのだ。
障がい者のチャレンジは困難が大きい分の感動を呼ぶというならば、そんなことはパラアスリートにとっては日常なのだ。
テレビは面白くなくなったと言われて久しいが、パラスポーツはYouTuberは取り上げたりしないだろうからテレビを救うコンテンツにならないかなと考えている。スポンサーは企業イメージが上がるし、スポンサーも付きやすいと思うのだ。
今後もパラアスリートを応援します📣
あまりパラアスリートを取り上げるコンテンツは少ないので、僕のブログでは取り上げていこうかと考えている。オススメのパラスポーツ、パラアスリートなどがいれば教えていただきたい。病院の各種SNSのDMは解放しているのでそちらからご連絡ください。
もちろん普通のスポーツでも大歓迎です。
おわりに
鬼谷慶子選手が最後の練習で身体を先に動かすことを意識したとのことですが、もちろんそれは正しいし、その正しさを僕は説明できます。さらに付け加えるならば、あと2点ぐらいアドバイスがあり、それを意識するだけで記録を伸ばす自信があります。
いつか本人か旦那さんに僕のメッセージが届いたらいいなと思います。