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ちょっといい話 症例#1

はじめに

昔々、僕が若手中の若手だった頃。当時、往診のバイトをしていた。往診というのは歯科医院に来てもらうのではなく、歯科医師や歯科衛生士の方が出向きそのひとの家や介護施設で歯科治療をするというものだ。僕は常々歯科治療はずっと途中経過だと思っている。その中で治療が成功したと思うのは、患者さんが亡くなって後日ご家族から「ありがとうございました。」と言われたら治療は完成かつ成功したと思っている。僕の中で自分の治療の完全なる成功症例は10例ちょっと程度で20症例はないぐらいだろう。今診ている子どもたちの治療の終わりは診ることはないだろう。その中で人生の最期を観ることが多い往診。いろいろなドラマや人生模様がある。そんな僕が若手で腕もさほどない時にいい治療ができたのではないか?と思った症例の話だ。

頑固なおじいさん

往診はこちらから何かしらの営業をするわけではなく、患者さん自身や患者さんの家族、ヘルパーさんなどの依頼が来てそれに応じる形で治療が進む。ある老人介護施設から依頼がきた。「Aさんというひとの家族から入れ歯を作ってほしいと要望がある」とのことだった。もちろんOKなのだが、できないときがある。口を長い間開けて保持できない、暴れる(認知症などではよくある)など型をとることもできないパターン、もしくは本人が拒否するパターンなどだ。

僕はそのAさんのところに行って話をした。間は省くは要点はこんな感じだ。

僕「Aさん、ご家族さんから依頼で、Aさんの入れ歯を作って欲しいと言われたんだけど。」

Aさん「いらん!ワシはこのままでいい!」

僕「まぁまぁそう言わんと。ご家族さんがAさんにもっと美味しくご飯食べれたらと思っていってくれてるんよ。」

Aさん「ワシはこれでいいんや!」

みたいな会話が繰り広げられた。

Aさんは歯が全くなく、義歯を入れたらもう少し食事形態も改善しそうだったのだ。ただ、歯科医師である僕は何が何でも義歯を作りたいとか作らないといけないというわけではない。特に義歯はあくまで道具なので本人の協力がないと使えない。それにむやみに外していると紛失の恐れがある。義歯が紛失すると介護施設は大パニックになる。見つかればいいが、見つからなければ「間違って捨てたのかな?」とはならない。飲み込んだ可能性を考えて患者さんをレントゲンや場合によっては胃カメラなどを急遽受診させないといけなくなる。事故ではなく事件になってしまう可能性があるのだ。

そこで僕は施設のひとに「Aさんの説得はそちら(家族や施設側)でしてもらえないか?そこまではできない。本人が納得していくれていたら作らせていただきます。」とした。

保険診療は『保険診療と自費診療』でも書いたが、こういった説得や話はいくらしても売り上げは上がらない。むしろ効率が下がる分マイナスと言える。Aさんと話をした感じ僕は正直説得は難しいだろうなと思っていた。

家族と電話

その後、いろいろなやりとりがあり、僕は直接Aさんのご家族と電話で話をすることがあった。ご家族の意向としては少しでもAさんに何かしてあげたい。その中の一つが義歯を作ってあげたいとのことだった。食事だけではない、見た目も回復する、構音もよくなる、立って歩くのもバランスが良くなるだろういいことは多くあると思う。しかし、Aさんは頑なだ。果たして、、、

僕が若いからそう思ったのかどうかはわからないが、ご家族がいいひとなのがすごく伝わった。Aさんのことを本当に思っているようだった。Aさんは頑固で家族に嫌われているのかと思いきや、ご家族は『Aさんのために何かできないか?』と思っている。おそらくAさんはご家族のために文字通り一生懸命生きてきたのだろう。そんなご家族とAさんとの関係性を垣間見た。いろいろ打ち合わせをした結果、電話で説得しても埒が開かなかったらしく、僕が行く時間に合わせてご家族が施設に来てくれて説得するということになった。正直そこまでできるひと(ご家族)は少ないと思う。息子さんと言っても当時の僕の親より年上なぐらいのひとだ。フットワーク軽く動く年齢でもないだろう。

説得の日

そして、説得の日が来た。実際Aさんのご家族は自分の子どもよりも若いであろう僕もに敬意を払ってくださるし、息子さんだけでなくおそらく息子さんの配偶者であろうひとも来ていた。僕は他のひとの治療をしながら待っていた。個室なので見えないがご家族がAさんと話をしているようだった。そして、他の治療がある程度終わった時にご家族が部屋から出てきた。

「うーん、、、」どうやら説得は無理だったようだ。Aさんは頑なだった。でも、ご家族と話をした僕はAさんがいいひとだと知っている。Aさんのご家族もいいひとだ。自分にもう少し何かできることないか?正直、出しゃばった考えだったと思う。

僕「少し席を外してもらっていいですか?」と言って、Aさんと部屋で二人っきりになった。僕は自分の親が感じたある出来事があり、少し思うことがあった。

僕「Aさん、何がそんな嫌なん?」

Aさん「入れ歯なんかいらん!」

あった方がご飯も美味しく食べられるし、ご家族がお金も負担してくれる。何も心配することはない。口開けて協力さえしてくれたら僕がなんとしても作るよ。みたいな話をした。ただ、よくよく話をするとAさんの考えも見えてきた。

Aさん「そんなに金かけんでええ。」

Aさんは自身の死期を感じておられ、そんな自分にお金をかけることはないと思っていたのだ。そこから保険を適応した範囲ならそれほど高くはないことを説明した。それで少しはほぐれた感じがあったのだが、まだ拒否は続いていた。そして僕はAさんが死んだ時の仮定の話をした。

僕「Aさん。Aさんはさぁ、自分にお金かけんとってていうやん。多分ご家族に少しでも迷惑かけたくないんやろ?それはわかった。それで死んだらAさんは満足やろう。でもさぁ、Aさんの家族はどうやろうか。多分家族の方には無念が残るで。「もっとできることなかったかなぁ」って。お棺に入る時入れ歯がなかったら口の中に綿入れて膨らますん。それ見て家族は「入れ歯作ろうとしたけど、それも拒否されたな」って思うんよ。そして、Aさんが死んだらそれって取り返しつかなくて、息子さん残り一生思うんよ。」

これは僕の母が祖父(母方)の急死で思うことがあったようなので、そういう話をした。

僕「Aさんの言い分もわかるんやけどさぁ、子どもに無念を残さんのも親の仕事ちゃうやろか?」

Aさん「うーん、、、」

孫より若いであろう僕の話だ。そうやって聞いてくれているだけでもだいぶいいひとだと思う。結局Aさんは義歯を作ることになった。ご家族は大層驚いていた。

ご家族「どうやったんですか?」

僕「ご家族の思いが伝わったんですかねぇ。直接言うのは恥ずかしかったんじゃないですか?」

まぁそこで話の内容を言うのは野暮というものだ。その後、僕はAさんの義歯を作った。めでたしめでたし。

医療の本質

以前にも書いたが僕は医療をお節介だと思っている。しなくていいことなのだ。今回のAさんの説得など全くしなくていいと言っていいだろう。本人がそうしたいと言ってそうしているのだ。わざわざ説得の必要はない。だいぶ昔の話だが特に現代においてこの話は踏み込みすぎだと思う。でも、何かの縁があって知り合ったのだ。袖触れ合う仲も何かの縁だろう。最初Aさんに若干無下にされたが、顔も見たことのないAさん家族は電話で敬意を持って話てくれたし(電話越しでこちらの年齢がわからなかったからだけかもしれません)、Aさんに対する思いも伝わったし、実際会ってもいいひとだった。ご家族が「金出すから入れ歯作れよ!」みたいなひとだったら僕もここまでしなかっただろう。さっさと切り上げて次に行った方が売り上げは上がるのだ。

仕事として医療をしているわけだが、自分が偉そうにならないためにも自分はお節介をしているんだという気持ちは忘れないようにしている。自分と波長の合うひとが来てくれたらいいし、合わないひとは違う歯科医院に行った方がいい。お互いのためだ。患者さんも自分の大事な身体を任せるのだ。合う先生のところに行った方がいい。緊急事態が起きる前の余裕のある時に歯科医院を探すといいだろう。

歯科医院の選び方(動画)

おわりに

僕は無理に治療を勧めない。今回の症例は異例中の異例だ。治療方針にどういうものがあるのかというのを並列に並べて説明するように心がけている。「先生ならどれがいいと思いますか?」とか「先生の家族ならどんな治療を勧めますか?」と聞かれれば自分の意見を言うぐらいだ。ただ、たまに無茶を言うひとがいるのでそれは否定する。説明して納得してもらえれば問題ないのだが、必ずしもそうとは限らない。非常に難しい問題だ。動画でも説明しているが『納得>正しさ』なのだ。

逆に「こうしなさい!」と言ってくれる方がいいひともいるだろう。自分で決定するのが苦手なひとだ。そういうひとには僕は不親切に見えるかもしれない。あくまで自分の身体を治すのは自分なのだ。医師はその手伝いをするだけだと僕は考えている。

人生は決断の連続だ。自分で選択した決断の方が結果はどうあれ『納得』を得られると思うのだ。